オモプラーツ川口
| チーム名の由来 | ポルトガル語で「銀の肩」という意味になります フットサルには全然関係ありません。 ブラジリアン柔術のスウィープ(下から返す技)の一種で有名選手ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラなどが使用してます。 オモプラータという技は下から返して上になりなおかつ相手の肩を極める技です。 フットサルの試合でも負けてても相手に追いつき追い越し一発逆転出来るようにとの願いが込められています。 |
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| 活動 | 川口北スポーツセンター体育館で19時から21時まで練習を月2回 武蔵浦和で練習試合を月1回 大会に月1回出場 |
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| チームの軌跡 | ||
| 1998 | ヤス、吉田がフットサルを始める。 | |
| 2001 | 佐藤選手、中山選手が現チームの前身チームヤスに加入。その後井上選手、森口選手加入 | |
| 2002.12 | チーム結成を決める | |
| 2003.4 | 清水選手がドラフト1位で入団 | |
| 2003.5 | 初出場の大会で見事準優勝(参加チーム数は?) | |
| 2003.6 | 猛暑の中、横浜で大会に出場。井上選手が2分でリタイヤ。清水選手が帰りの車から逃亡。 | |
| 2003.7 | 東京体育館で大会に出場 | |
| 2003.8 | スーパービギナー大会で16チーム中屈辱の15位 | |
| 2003.9 | 群馬県片品村にて強化合宿を実施 雨の中大会に参加しチーム最高の8得点を記録 |
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| 2003.10 | 中山選手が練習のアップの鬼ごっこで貧血 | |
| 2003.12 | オモプラボンバイエ2003盛大に開催。会場に着かない選手1名。 | |
| 2004.1 | 2004年初大会初得点はヤス選手 初女性プレイヤーマキティー入団 |
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| 2004.2 | ASASカップに2チームで参戦 Aチームは最下位、Bチームは5位 |
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| 2004.4 | 吉田キャプテン左膝前十字靭帯損傷のため手術、代理キャプテンとして戸田選手 | |
| 2004.6 | 積田選手入団 | |
| 2004.7 | 夏合宿を斑尾高原にて実施 | |
| 2004.8 | 新ユニフォーム完成![]() |
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| オモプラーツ創設前のチームヤスからいる人がチームでも半数以下になったか。 俺がフットサルを始めたのは単純にヤスから誘われたからだ。 前の会社にいた頃だったろうか約10年前。 当時、武蔵浦和にフットサル場が出来たばかり。 集まったのはサッカー経験者、ただのサッカー好き、運動好きいろいろ。 これがトリッキーズだった。 年齢は当時30台中盤くらいかな。 まだフットサルのルールななんて殆んどの人が知らなかった。 シューズもハンドボールシューズを履いて蹴っていた。 とは言っても当時仕事が不規則で半年に1回フットサルに行けるか行けないかの状況だった。 その会社を辞めてからは少し参加機会は増えた。 参加しても知り合いはヤスだけ、適当にチームを組まれボールを蹴って帰る。 転職し参加機会は増え、またフットサルも流行り出してきた。 同期のSトゥがまずサルに参加した。彼も俺と同じ野球党。 月に1回2時間紅白戦をやって飯食って帰る、こんな感じ。 次にグン、Hカーン、Iジーニョなど参加者は増えていった。 そして仲間だけでチームも組めるようになった。 それが<太>チームヤス</太>。 ただトリッキーズの人が俺達をそう呼んでいたから。 しかしサッカー経験者ゼロのチームヤス、勝率は非常に低かった。 Hカーンがかろうじて顔面セーブして引き分けに持ち込んだり。 今考えてみるとどうやって攻めていたのかビデオがあったら金払ってでも見てみたい。 そのうちにMグティが加入した、初のサッカー経験者。 得点力が格段に増した。 この頃トリッキーズとの対戦も少し負け越しているか五分五分位までなった。 みんなでチームを作りたいなという話が出てきた。 Mチー、Wチョーそして高校の同級生Jローが加入しチーム結成話は加速。 ちょうどこの時期に社会人になったS坊が加入。 トリッキーズ戦のためだったチームヤスから<太>オモプラーツ</太>が結成された。 2003年の春だった。 チーム名はみんなで話し合ったが決まらなかったため俺が決めた。 ブラジリン柔術のオモプラッタから<大>オモプラーツ</大>。 まずは他のチームと絶対かぶらない名前略せる事(オモプラ)、南米っぽいことを意識して考えた。 チームユニフォームはサッカーファンが多かった為<太>アヤックス</太>だった。 そしてアヤックスのユニフォームを着て初大会に挑んだ。 |